ナギとナツとクロ

 少し変わった父親に、自由奔放な母親に育てられた僕。小さいときはたしか宇宙飛行士(たしか字を間違えてうちゅうではなくふちゅうと書いた奴がいたが、きっと僕じゃない。府中飛行士とかでお前どこを飛ぶんだと笑われていたが、おそらく僕じゃない)になりたくて、おじいちゃんに連れて行ってもらった山で遭難しかけたり、男友達と一緒にエロビデオみたり、彼女の手料理でアレルギーが発覚したり、男にストーカーされたりと、そんな人生だった。


 そんな、走馬灯。


 僕は今日死ぬかもしれない。


「クロさん!」


 僕を揺さぶる小さなナギちゃん。身長差は頭二つ分くらいある。今年でもう小学校の五年生だ。はやいものだね。


 僕は走馬灯を見終えて、現在に戻る。


「……ナギちゃん、ここで、僕は死ぬかもしれない。だから、最後に言っておきたいことがある」


「そのまえに聞いておきたいんですけど、わたしのお父さんってどんな人でした?」


「君はもう料理を作るなぁぁぁぁぁ!」


 血を吐きながら断末魔(うわ、状況的に洒落にならねぇ表現だ)を叫ぶ僕。ていうかナギちゃん、僕の最後の言葉よりも、自分の聞きたいことを優先しやがった。しかも答えなきゃいけないような質問しやがって。


 答えなかったけど。


 僕の目の前にあるのは、日本のどこの料理でも――いや、世界中のどこの料理でもない、世界観ごと崩壊しかねないような料理が、並べられている。いささか過剰な表現かもしれないが、これのせいで振り返りたくもない人生を振り返ってしまったのだ。このくらいでも、非常にライトな表現だ。


「おかしいですね……深夜の、外国人がやっている料理番組にアレンジを加えただけだったんですけど」


「なにしてんの!? ていうか……本気でやばいんだけど……しびれてきた」


 もう大きな声を出すのも難しそうだ。


 あと、深夜の外人の作ってる料理は、やっちゃだめだって。あくまで僕の偏見だが。


 ていうか、一番駄目なのは『アレンジ』のところなんだろうな。


「あ、あと……深夜のテレビは見たら駄目って」


 ナギちゃんがませすぎているのはそのせいか。小学五年生が見るには、アダルトすぎる変な番組しかやってないし。


「ああ、そういえばふぐって、免許がいるんでしたっけ?」


「きゅーきゅーしゃぁ!」


 ふぐ入ってるの!?


「冗談ですよ」


「そ、そうだよね」


 よくわからないけれど、そういう免許がないと買えないのだろうし。


「スベスベマンジュウガニが入ってます」


「それも毒だぁぁぁぁ!」


 ど、どこから入手したんだ!? ていうか、なぜ小学生女子がスベスベマンジュウガニなんて知ってるんだよ。


「冗談ですよ」


「いや、毒は冗談でも、身体がしびれてるのは冗談じゃないんだよ」


 やばい。これは冗談じゃない。ていうか、本気でなに入れたんだよ。いままで色んなドラマを生んできたナギちゃんの料理だが、ここまで『危険』と感じたのはこれが始めてだ。


「○ベスベスベスベ、マンジュマンジュウ♪」


「なに歌ってんの!?


「恋の○ベスベマンジュウです」


「いや、曲のタイトルと歌詞に伏字を入れるくらい気をまわせるなら、吐血してるおじさんにも気をまわせるはずでしょう? ちょっと、本気でお腹痛くなってきた……」


 気の遣いどころを間違えている。


「ではとりあえず、布団まで運びましょう」


「寝て治るのかな……これ。まあ、肩は貸して欲しいけど」


「どさくさ紛れに三角筋とか僧帽筋とか肩甲骨とか鎖骨とか、触らないでくださいね」


「肩を貸す気が無い!? 全部肩周辺の部位じゃんかそれ!」


 どう運んでくれるんだよ!


「なんだ、元気そうじゃないですか」


「……確かに突っ込んでたら元気は出てきたけど、それでもつらいから布団まで連れてってよ」


 頭がくらくらしてきた。


「しょうがありませんね」


 こんな態度だが、それでもちゃんと布団まで連れてってくれるナギちゃん。まあ、根はいい子なのだ。この料理にしたって、気まぐれでもなんでもなく、僕のために作ってくれたものだったのだろう。それでこの有様だが……僕も少し言い過ぎたな。


「あと、水置いといてくれないかな」


「……っち」


「…………」


 いい子、なんです。この前、肩とか叩いてくれたんです。家事とかも、してくれてるんです……。


「持ってきました」


「ありがとう」


「白湯も持ってきましたが」


「あ、そっち先にもらおうかな」


 気を利かせてくれた、のかな。弱ったときの白湯って、かなりいいんだよ? ナギちゃんの持ってきてくれたお盆には、飲み物のほかに、胃薬もあった。


「……次は、一緒に作ろうか」


 ここらへんで、フォローしておかなければならない。ナギちゃんは意外と繊細で、こうなると大体表に出さずに落ち込んでいるのだ。なにか失敗すると、大体そうだ。こういうところは、可愛いのだが。しかし、小さい歳の子にしては、感情の隠し方がうますぎるというか……過激すぎるのだ。照れ隠しというか、いま流行りのツンデレというものなのだろうか。


「ナギちゃん、普通に料理作れるんだから」


「クロさんに教えてもらった料理は、作れます。でも、『自分の料理』を、食べてもらいたかったんです……」


「…………」


 そういうことか。そうなんだよな。ナギちゃんを『正式に』預かってもう三年くらいが経つが、その間に料理は教えてと言われた数だけ教えて、普通に作れるようになっているのだ。なんで失敗してまでこんな料理をたまにつくるのかと思っていたが、なるほどね。


 ナギちゃんは、僕にとっては親友のナツの娘で、ナギちゃんにとっては父親の友達――というより、人のいいおじさんといったところだろうな。まあ、そういう状況にいる小さいな女の子だ。そういうお礼もしたくなるのだろう。


「だったら、もっと料理の工夫を教えてあげないとね」


「そうだよ」


「そうだよ!?


「そうですね」


「あ、あれ?」


 聞き間違い、だよな?


 敬語が、デフォルトだもんな……?


「……えっと、ナツの話とか、聞きたいの?」


 さっきそう言っていたので、一応聞いてみるが。


 父親の、こと。


「別にいいですよ。さっきは冗談で言っただけですから」


「別にいいって……」


 おいおい。ナツが泣くぞ。


 ていうか、臨死体験した直後の人間に冗談とかやめてよ。


「別にいいですよ。お父さんは、わたしにとってたまに話すおじさんみたいな存在ですから」


「たまに話すおじさんは、僕のほうだろ」


「クロさんのほうが、お父さんって感じがしますよ。ずっといますし」


「まあ、いまは一緒にいるけどね……」


 お父さん……でも、いずれはナツのところに戻ることになるのだ。だから、そう思われるのは、かなり微妙だ。良いとも悪いとも、思いづらい。


「預けられる前から、よくかまってもらってますし。ここの家のほうが、『家』って感じがしますもの」


「…………」


 ナツ。お前ははやく帰ってくるべきだ。娘にこんなふうに思われたら、駄目だろ。


 ここが家のようだと思ってもらうのは、普通に嬉しい。それでも、ナツにとってのたった一人の家族だし、ナギちゃんにとっても、同じなんだから。


 だけど、ナツからナギちゃんを奪う気はないけど、それでも、ナギちゃんがナツと『ちゃんと暮らす』ようになったら、僕は、寂しいだろうな。きっと、本物の娘がいなくなるのと、同じくらいに。


 あの子、みたいに。


「じゃあ、僕は寝るよ」


 もう限界だ。頭がずきずきする。


 料理だけのせいだと、思おう。


「……クロさん。隣で一緒に、寝てもいいですか? 身体に何かあったときに、気づかないと大変なので」


「……いいよ」


 小さい女の子。


 親友の娘。


 ナツ、早く帰って来い。僕だって人間なんだ。大切なものを手放すのは、つらくなってくるんだよ。


 この子は僕の娘じゃない。そう、思い続けられるうちに。




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