初めて会ったのは、ナギちゃんが七つくらいのときだろうか。引っ越したばかりの町で、迷子だったナギちゃんを見つけたのだ。それが、ナツの娘だったうえに、家が近所だったことを知ったときは驚いた。日本は狭いなんて、よく言ったものだ。しれっとした顔で僕に「迷子です」と言ったくせに、家につくなりぼろぼろと泣き出して――そういうところは、今もあるが――そういう子が、ナギちゃんだった。強い子で、しっかりしている。だけど、それは弱さを内側に押し込んでいるからそう見えるだけだ。
強いは弱い。そんな子。
母親はいない。父親であるナツは仕事であちこちに飛び、なかなか会えない。親戚も近くにはいない。ナギちゃんは、一人だった。だから仕事でナツがいないときはよく預かっていたりしていたのだが、今回の海外出張だ。一緒に連れて行くことも考えたらしいのだが、海外で娘を家において仕事に出かけるほうが心配だと言って、結果、僕が預かることになった。それは、ナギちゃんの要望でもあったのだが。
「クロさん、伽羅色(きゃらいろ)と煤竹色(すすたけいろ)、どちらがいいと思いますか?」
「うーん……」
とあるデパートの中。ナギちゃんの鞄が壊れてしまった(壊れた原因は話してくれないが、短い小説くらいのエピソードがあるらしい。嘘だと思うけど)ので、見に来たのだが、なかなかナギちゃんも女の子である。鞄の色が伽羅色か煤竹色かで相談されるとは、思っていなかった。おっさんである僕からみれば、どちらも同じに見えるし、形が同じならそんなちょっとの色の差なんてどうでもいいと思ってしまうのだが、そういうところで悩んでしまうのがナギちゃんだ。こういうのを深く考えるならば、普段の服装も考えなくてはいけないのだろうが――いや、服装を思い出したところでやはり僕は僕だ。伽羅色と煤竹色なんて同じに見えるだろう。
ていうか、どっちが伽羅色でどっちが煤竹色なわけ? どっちも茶色に見えるんだけど。
そんな色、聞いたことないよ。
「す、すすたけいろ、かな?」
「ほう。なるほど、納得です。しかし、さすがですね。『どっちがどの色?』とか言われると思っていたのですが、日本の伝統色を心得ているんですね」
「い、いやぁ」
意地を張ってみるものだ。しかし、伝統色の名前、か。難しいな。
色の話じゃなく、ナギちゃんが。
「聞かれた場合の面白い答えも用意していたので、それはそれで残念ですが」
鞄を背負って背負い心地を確かめながら、ナギちゃんは、言う。
本当に、難しいな。
「どんな話?」
「む。この鞄、すごいフィット感です。これにしましょう」
あ、流れた。
「じゃあ、これにしようか」
「はい。これはプライベートでもつかえますよ」
なんか気に入ったみたいだ。よかった。
「これでまあ、必要なものはそろったのかな?」
「そう……ですね」
「じゃあ、次はなに買おうか」
「え?」
「必要なものだけ買いに来たわけじゃないよ。欲しいもの、あるでしょう?」
それに、買い物は久々だしね。まだ帰りたくないって顔してるし。
会計すぎたら、残念そうな顔をしたのだ。
そんな顔見ちゃったら、無理だよねぇ。
「あ、あの……」
「ん? 言ってみなよ」
「……ヘアピン」
「ヘアピン?」
思ってたよりも安い要求だな。
ナギちゃんにかかるお金は、ナツから送られてくるお金で十二分に足りている。足りすぎている。まあそのお金はナギちゃんの教育費だけじゃなく、僕に対しても送っているらしいのだが、僕はそれを使うのはなんとなく嫌だったので使っていない。知り合いの娘を預かっているだけだ。自分の生活費くらい、自分の収入で十分だ。
学校や教材にかかるお金。それに、ナギちゃんに上げているお小遣いだって、全てナツのお金だ。それは、ナギちゃんにも言っている。とくに狙っていたわけではないが、多分、ナツのことを父親だと思ってもらうためにそうしているのかもしれない。
まあ、そんなわけでナギちゃんに使えるお金はある。あり過ぎている。だから勉強に関するものは惜しまずナツの仕送りを使わせてもらい、お小遣いに関してはまあ、小学生なのだ。お金と人格は切っても切れない関係にあると僕は思っているので、まあ、ほどほどに、だ。野口さんとかのお札なんてぜんぜんあげてないし、それに、ナギちゃんはお金というものを『多く貰う』ことを嫌うのだ。それは、ナギちゃんがナツから、沢山お金を貰ってお留守番していたからかもしれない。沢山渡されると、それを思い出すのかも。
まあ、そんなわけだが、それでもヘアピンくらいはナギちゃんも買えるものだと思うのだが……。
「そうだね、見ようか。ナツに買ってもらうってことで」
「あの、お父さんじゃなくて、クロさんに買ってもらいたいです」
「…………」
予想外の発言。
「お父さんには、色々買ってもらってます。それは、別にいいんです。可愛い娘を置いているわけですからね。そのくらい、当然ですよ。そうじゃなくて、わたしはクロさんに買ってもらったものが欲しいんです」
「そ、そう……」
ナギちゃんはこれで、小学生か。子供って、本当に侮れないな。そんな粋な考え方をすると思ってなかった。
僕に買って欲しい、ね。
「それはいいけど、ヘアピンでいいの?」
「気を遣いました」
「……ナギちゃん、僕だってお金持ってるんだよ?」
「じゃあ少し高価なものにしましょう。……わたしが真珠をつけても、豚じゃないからいいですよね?」
「高っ!? ナ、ナギちゃん。それはナギちゃんが大きくなったらプレゼントしてあげるよ」
ヘアピンの少し高価が、真珠なのかよ。
なんか勢いで約束しちゃったけど、ナギちゃん、大人になっても覚えてそうだな……。
「まあ、なんでもいいんですよ。ポイントはクロさんの買ってくれたもので、身に付けられるものがいいというところです」
「なるほどね」
「防犯ベルとかそういう色気のないものは嫌ですよ? ここでなにを買ってくれるのかで、クロさんのモテ度がわかります」
「……頑張るよ」
小学生の女の子の、身に付けるものか……なんだろうか。リボンとかなのかな? いやでも、ナギちゃんはそういう髪の毛じゃないもんな。まあ、ヘアピンは何個か買うとして、ほかにもなにかってことだよな。僕自身がなにかを身に付けたりとかしないから、なかなか難しいな。
ヘアピンの売っている売り場。なんていうか、ナギちゃんがいるとはいえおっさんの僕には非常に居ずらい空間だ。
「クロさん、これなんかどうでしょう」
「かわい――」
「可愛いと言う場合は、具体的に」
「……えっと」
難しい小学生だ。ていうか、女の子だからか。
「し、白いから黒い髪に映えるよね! あと、白い花って清純な感じがしていいね!」
「小学生女子に清純な感じがしていいというのはいかがな評価でしょうか……」
「えっと、……まあでもうまくいえないけど、似合ってるし、可愛いと思うよ」
「ふむ。下手に褒められるより、全然うれしいですね」
難しいなぁ。でも、喜んではくれているようだ。うれしそうな顔をして、ヘアピンを握り締めるナギちゃん。そうなのか。こういうものを、求められていたのか。気づけなかったな。一緒にいることはあっても、なにかを買ってあげたことは、あんまりなかったかも。
それだけで、一緒にいるだけで、ナギちゃんは嬉しそうだったから。
そういえば、ナギちゃん、
僕の買った服ばかり着てる?
……はは。
嬉しいと思うよりも、
つらい。
「えっと、もうちょっと欲しいよね? うーん」
気持ちを切り替えよう。
ナギちゃんは結構な博識なので、あまり意味のありそうなものは地雷の可能性が高い。花とか、なにかのマークとかは危険だ。幾何学模様みたいな感じのとか――いや、それは女の子にあげるには変か。ていうかそんなヘアピンないし。
「いえ、沢山はいりません」
多ければいいというものではありませんからと続けるナギちゃん。
「ひとつがいいです」
「……そう」
ナギちゃんは、ただ単にヘアピンが欲しいというわけではい。
僕との思い出が、欲しいのだろう。
……まったく。ナツが帰ったら説教しか思いつかないな。まあでも、ナツが全部悪いという話でもないのだが。こういう気持ちに、ナツもなってくれるのだろうか。
または、なっている、のかな。
そしてそのまま、なにを買えばいいのかわからないまま、デパートをうろつくことに。
女の子の、身に付けるものか。カンナさんには、ネックレスとかでよかったんだけどなぁ。小学生のつけるものじゃない気がするしなぁ。
「ん?」
「……むぅ」
通路の真ん中に、ナギちゃんと同じくらいの身長の男の子が泣きそうな顔で立っていた。足元を見つめたまま動かない。保護者らしき人間はそばにいないし、トイレから遠いので親のトイレを待っているというわけではないのだろう。
「……なんでしょうか?」
「迷子、かな」
「オモチャを買ってもらえなくて拗ねているだけかもしれませんよ」
男の子に近づく。腰を低くして、視線を男の子に合わせる。
「君、大人の人は?」
「…………」
「迷子なの?」
「…………」
より泣きそうな顔になっただけで、何も話してくれない男の子。困った。多分、迷子なんだと思うんだけど。
「ねぇ君、ちゃんと言わないとどうしようもないわよ?」
「…………いなく、なっちゃった」
ナギちゃんの一声で男の子はぼそっと喋る。いなくなったということは、多分、保護者とはぐれたのだろう。父親か、母親か。
それとも、僕みたいな存在か。
「じゃあ、お店の人に探してもらおうか」
「……うぅぅぅ」
声を抑えながら泣き始める男の子。ナギちゃんと同じくらいの背丈だが、随分と幼く見える。
でも、気持ちはわかる。
一人でどうしようもなく困っているときに、声をかけられる気持ちは。
「ねぇ、きみは何年生? わたしは五年生よ」
「ご、五年生……お、俺、も」
「情けないわね。ほら、つれてってあげるから」
そういって男の子の手を引くナギちゃん。同じ五年生か。ナギちゃん随分と、お姉さんだな。
お店の放送で呼び出しをかけると、母親が現れた。その頃には泣き止んでいた男の子も、再び泣き出す。その様子はとても、ナギちゃんと同じ歳には見えない。まあ、育った環境で人は変わるだろうし。
母親、か。
「……よかったね、あの子」
「……そうですね」
すこし寂しそうな顔をするナギちゃん。仲良くなった男の子との別れからなのか、それとも『親子』の光景を見たから、なのか。
なんとなく、ナギちゃんの頭を撫でる。
「……察しのいい男のつもりですか」
「あ、あれ? 間違った?」
「まあ、正解です」
正解だった。嫌そうな、嬉しそうな複雑な顔をしているが、頭を撫でていた僕の手を引いて歩き出すナギちゃん。
「行きましょう」
「うん」
さて、ナギちゃんってどんなものに興味があったっけな。
電化製品のコーナー。ここはスルーかな。
「……む」
「うん?」
できなかった。
プリンター内臓の、ポラロイドカメラの前で止まるナギちゃん。
「懐かしいなこれ。こんなのまだ売ってるんだ」
復刻版と書かれている。復刻版、と書いてあるが、当時ポラロイドカメラを使っていた僕からすれば、なんていうか。機能の似た、違うカメラに見えるけど。デザインは、まあ、ぽい、かな。となりには、新しい薄型のポラロイドカメラも置いてある、これも、プリンター内臓らしい。こんなに薄いのに、プリンター内臓なのか。
「…………」
ナギちゃんが無言でレトロなほうのポラロイドカメラを見ていた。
「で、どれ?」
「へぇ!? い、いやあの、さすがにこれは――」
「欲しいんでしょう? 大事にしてくれるなら、買うよ」
「……あ、あの、これ」
銀色の、やわらかいフォルムのポラロイドカメラを指差すナギちゃん。交換用のフィルムも買って、デパートを出た。
「おーまぁきばぁわ、みぃ、どぉ、りぃ!」
車のなかでご機嫌なナギちゃん。いや、『超ご機嫌』なナギちゃん。さっそくヘアピンをつけ、ポラロイドカメラを抱きしめている。そんなナギちゃんが助手席に座っているので、僕まで嬉しくなってくる。
「ありがとうございます。ちゃんと万年使います」
「う、うん」
それは、万年筆をプレゼントされたときに使う言葉だと思うのだが。まあ、最近よく使ってるし、テレビかなにかで聞いて、使いたい言葉なのだろう。
「でも、カメラに興味があるなんて知らなかった」
僕自身も写真とか、そんなに撮らないし。
「カメラに興味があるというよりも、この撮った写真がジーって出てくるカメラが好きなんです」
「ポラロイドカメラね」
「はい。コラロイドカメラです」
「それだとなんか違うカメラみたいだけど……ポラロイドね」
わざと?
家に帰ると早速、カメラを構えるナギちゃん。
「クロさん、目線ください!」
「なんか台詞間違ってない!?」
小学生女子に目線くださいと言われた。どうポーズすればいいのだろうか。
「あ、いいですねいいですね。もっとこう、腕をひねってください」
「こう?」
「そうですそうです。そして、反対の手は腰に――ああ、それですそれです。じゃあ、撮りますよ」
フラッシュが光る。ポラロイドカメラから写真が出てくる。
「ふむ。いい出来です」
「どれ?」
顔しか写ってなかった。
「ポーズとらせた意味は!?」
「記念すべき一回目に、あんなやばいポーズを撮ったりしませんよ」
「やばいって!」
でも、嬉しそうなのでよし。
「ナギちゃんも撮っていい?」
「……クロさんだけが見るというのなら、許可しましょう」
どんなツンデレ発言なんだよ。しかも言いながら身だしなみを整えてるし。まあ、小学生なんてだいたいがベクトルの違うツンデレみたいなものだ。
言い過ぎた。
「じゃあ撮るよー」
「ま、待ってください! 鏡見てきますから!」
「いや、そこまで構えなくてもいいから。はい、チーズ」
「は、はい!」
咄嗟にピースサインを作るナギちゃん。珍しい反応だな。
カメラから出てくる写真をとると、見るまえに横から奪い取られる。
「……こ、これは駄目です!」
「見せてよ」
「駄目です!」
「どうして?」
「見られたらわたしのキャラクターが崩れます!」
「キャラクターが崩れるって……」
残念ながら、もう手遅れだけど。
「クロさんがクラシックを聴くようなものです!」
「ちょっと待ってよ! それはどういう意味だ!」
クラシックを聴くと崩れるキャラってなんだよ!
結局、写真は見せてもらえず、また撮りなおすことになった。別に可愛かったのに。
写真は見えなくても、撮ったのは僕なんだって。
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